回り道をしてきた男 —遅咲きの星— 勝次

お知らせ

回り道をしてきた男 —遅咲きの星— 勝次

ある日、東京・蒲田名物の黒湯天然温泉で、勝次は見も知らぬ年配者から話しかけられた。
「お兄ちゃん、いい身体をしているねぇ。何やっているの?」
「キックボクシングをやっています。沢村忠さんの後輩なんですよ」
「キックの鬼の後輩! すごいね。昔はよくテレビで見ていたよ」
裸の付き合いは、初体面でも会話が弾む。たまたま傍らにいた人も勝手に会話に割って入ってきた。
「テレビ、観たよ。蒲田のロッキーだよね。へぇ、なんだか試合をしている時とは全然イメージが違うね。応援するよ」

 

一事が万事、この調子。東京でも屈指の店の多さで有名な蒲田の飲み屋街でも勝次は人気者だ。「握手してください」など日常茶飯事。勝次が暖簾をくぐるだけでも、場が盛り上がる店もある。
勝次は「たぶん50くらいの店に今度の大会ポスターを貼ってもらっている」と証言する。(練習場所のひとつである)Kick Boxのある通りの飲食店にはほとんど貼ってもらっていますね」

いよいよ勝負の時が来た。12月10日、両国国技館。森井洋介と争う初代KNOCK OUTライト級王座決定トーナメント決勝戦。勝次は「自分の人生が変わる一戦だと思っている」と意気込む。
「後悔だけはしたくないと思って、できる限りのことをやってきました。その選択肢のひとつとして、先日10日間ほどタイで集中してトレーニングをしてきました」
なぜタイなのかと訊くのは愚問だろう。タイには国技ムエタイのジムが無数にある。勝次は高校時代から夏休みや冬休みになるとタイに足を伸ばし、首都バンコクの下町にあるペッティンディージムに滞在する。
その回数は17~18回。もう13年も勝次はタイ修行を続けている。
「一番長い時は1カ月、夏休みをまるまる使って滞在していました」
ペッティンディジムーは名門中の名門。選手育成のみならず、興行も手がけるタイで自他ともに№1と認めるプロモーションだ。ムエタイだけではなく、プロボクシングの世界王者も多数輩出している。日本でも幾度となく世界王座防衛戦を行ったポンサックレックもペッティンディジムの所属だった。
「たまにボクシングのトレーナーにもミットをもってもらい、ポンサックレックのフックを打ち方を教えてもらったりしていました」

 

ムエタイのジムに住み込みで練習する日本人選手は結構いるが、いろいろなジムを渡り歩く選手が大半。そうした中、勝次はペッティンディジム一筋を貫く。
なぜ?
「同世代の選手がいっぱいいて、ジムの仲間と友達になったからでしょう」
2回目に行った時、ジムメイトは高校生の勝次を快く迎え入れてくれた。
「おかえりっ」
会話を円滑に進めるため、それから勝次はタイ語を猛勉強。いまや方言もOKというほどペラペラだ。タイ語を理解できるのはトレーナーからの細かい指示もしっかりと把握できる。
「みんなチャンピオンになっているけど、20バーツ(約70円)くらいの飯しか奢ってくれない。ハングリーだと思いますね。唯一の例外はポンサックレックさん。彼だけはちゃんと奢ってくれますね」
ムエタイもボクシングも目の前に世界で一番強い人がいる環境で練習できていることを勝次は幸せに思う。チャンピオンからは、たまにマンツーマンで教えてくれることも。試合をする日が一緒の時には減量から調整方法まで全部一緒にやってくれた。
「こうやってやるのか」
目からうろこの連続。今回も朝、夕方としっかり1日2部練習をやってきた。
「1日タイで練習したら、日本で2日練習するのと一緒。朝からしっかり練習したら、それだけで1日生活できないほど疲れる。密度が違う。ドラゴンボールに出てくる″精神と時の部屋″じゃないけど、短期間で強くなってこれる実感がある」

勝次は遅咲きの星だ。地元兵庫県で高校生の時にプロデビューしたまでは良かったものの、日本チャンピオンになるまで12年という長い歳月を要した。
もっとも大きな分岐点は14年5月、K-1甲子園優勝者の翔栄と空位の日本ライト級王座を争った時だった。勝次にとっては初めての王座挑戦だったが、獲れるだけの実力は十分に備えていると思っていた。
「やっとチャンピオンになれる時が来た」
試合前から勝次は勝った気分に浸っていたと思い返す。「慢心じゃないけど、試合をやる前から勝った気になっていた。そんなんで勝てるわけがない」

──勝った気になったらダメ?

「僕の経験からいうと、この相手には勝てるなと思ってしまった試合に限って負けが多い。どこかしら気持ちに甘さが出て、それが油断となり、スキをつかれてダウンを奪われるんじゃないですかね」
案の定、この一戦で勝次は3Rに右フックでダウンを奪われ判定負け。「やっとチャンピオンになれるね。見に行くよ」と言いながら集まった350名もの大応援団を大いに落胆させた。勝次はすまない気持ちで胸がはちきれそうになった。
「みんな12~13年に及ぶ僕のキック人生をわかってくれていた。苦しい思いをしてきたのを間近で見てくれていたのに」
この敗北をきっかけに、勝次はネガティブなことを一切考えないように心がけるようになった。練習中の「疲れた」「痛い」は御法度。ため息をつくことすら自ら禁じた。
その代わりに心の中でこう叫ぶことにした。
「これからが勝負だ」
「自分は試されている。この難所を乗り越えたら、少しでも強くなれる」
そうした小さな積み上げは今年6月にスタートしたKING OF KNOCK OUT初代ライト級王座決定トーナメントに如実に現れる。勝次は「一回戦と準決勝は僕の想像を遥かに超えた試合だった」と振り返る。

不可思との一回戦は6度に及ぶダウンの応酬の末、5RTKO勝ちを収めた。
試合は1R開始のゴングが鳴る前から始まっていた。リング中央で不可思が睨みを効かせると、勝次は一歩も引かず睨み返した。
「睨みで負けたら、試合にも負けると思ったんですよ。何があっても、気持ちでは負けないと決めていました」
自らダウンを喫するということも、想定はしていた。勝次は心に言い聞かせていた。
「もしダウンをとられても、絶対に負けないぞ」
「足を折られようと、効かされようと、心だけは絶対に折れないぞ」
1R開始早々、先制のダウンを奪ったのは勝次のロープの反動を利用したスーパーマンパンチだった。
「ロープにもたれた瞬間、不可思選手との間に距離があったので、咄嗟の判断で『これはフェイントをかけたら当たる』と確信しました。そこでローに行くふりをして思い切りパンチで行った。拳に全体重が乗った一撃が思い切りヒットしたので、これで終わったと思いました。まさか立ってくると思わなかった」

 

2R、不可思は怒濤の反撃を見せ、立て続けに2度のダウンを奪い返す。KNOCK OUTは1Rに3度ダウンを奪われたらテクニカルノックアウト(TKO)負けとなる。勝次も「あと一回ダウンをとられたら負けだ」と焦った。その一方で、きつい練習を積み上げていた自信も残っていた決めていた。「負けるか、オラッ」
自分を奮い立たせた勝次は猛反撃を見せ、お返しに3度のダウンを奪って勝負を決めた。最大の勝因は「ヤバいと思ってからの気持ちの切り換えが行動に出たこと」だった。
「普段からポジティブなイメージを持っていたとしても、途中でネガティブな感情がどうしても入ってくる。それをどうポジティブに変えていくか。普段からそういう訓練をしていたおかげで、あの切り換えができたんだと思います。そうでなかったら、ヤバいと思ったまま試合を続けていたでしょう」
不可思が止めを刺しに来てくれたことも幸いした。相手が向かってきてくれたからこそ勝次のパンチがカウンターで炸裂したのだ。
「1ミリでも先に自分のパンチが届くように意識して練習していたことも役立ちました」

 

大歓声の中で行われたヒーローインタビュー。勝次は自分の記憶が一部飛んでいることを吐露した。控室に戻っても、5Rの試合内容は完全に頭から飛んでいた。
「4Rが終わった時点で(藤本ジムの)藤本(勲)会長と(新日本キックボクシング協会の)伊原信一代表がリングサイドまで走ってきて『ポイントをとっているから行くな』と言ってきた。でも、セコンドの鴇さん(前述したKick Boxの代表である傍ら、藤本ジムのトレーナーも務める)が『相手は絶対出てくるから縦ヒジを合わせろ』という指示を出してきた。それにハイと答えたことだけは覚えています」

5R開始直前、勝次は自軍コーナーを向きながら精神統一を計り、最後はグァーという雄叫びをあげた。その刹那に振り返ったら、対角線のコーナーから飛び出してきた不可思が目の前にいた。
「近いんだよ、ボケッ」
そう思ってから勝次の記憶は完全に途絶えている。実際には縦ヒジ3連打を決め、熱戦に終止符を打った。
「3連打なんて練習でもやった記憶がない。たぶん勝手に身体が動いたんでしょうね」

 

決戦当日の夜は興奮して眠れなかった。すぐアップされた自分の試合映像を見返したら、すげぇと驚くしかなかった。
「自分のイメージを超えた試合をやるのは初めてだったので、自分で自分をほめてあげたいと思いました」
火事場の糞力というべき力はどこから湧いてきたのか。勝次は確信している。それはKNOCK OUTという舞台の力が大きいことを。
「みんなお客さんを喜ばせたい。今まで日陰の人生を強いられたキックボクサーがKNOCK OUTのリングに上がれば、陽の目を浴びることができる。名声、富など全てを手に入れることができる。その気持ちがああいう試合に導いてくれたんだと思いますね」

以前、試合では練習したことの2~3割程度発揮することができたら上出来という話を聞いたことがある。何人もの選手がそう言っていたのだから嘘ではないだろう。しかし、KNOCK OUTに出た勝次は違う。
「なかなかイメージ通りの試合ができることはないけど、いい時には練習の70~80%の動きをしていると思う」

不可思戦は、それすらも越えていたのか。勝次の神がかった動きは、8月に組まれた前口太尊との準決勝でも存分に発揮された。きっかけは前口が想像以上のプレッシャーをかけてきたことだった。

「普通5ラウンドの試合だと、最初は力をセーブしたり、相手の出方をうかがったりする。でも、僕は延長に突入することも想定して6Rフルに動けるスタミナをつけてリングに上がったので、最初からフルパワーで対抗しました」
フルパワーVSフルパワー。それはダンプとダンプの正面衝突のような衝撃を生む。2R、勝次がハイキックでダウンを奪った時の会場の盛り上がりようといったらなかった。
「フェイントをかけて蹴り足を隠す形で蹴った。サンドバックでは結構練習してきたテクニックだったけど、試合で当てたのは2回目だったので自分でもビックリしました」
その感触から立ってこれないだろうと思ったが、前口は立ち上がってきた。
「1~2㎝、当たりが浅かったんだと思います。対人でハイキックを振り切るという練習をしてこなかったので、それが裏目に出た。あのハイはきれいに蹴ったけど、倒しきるというものがなかった」
その後、もうあとがない前口はさらに仕掛けてきた。不可思戦に勝るとも劣らぬド突き合い。そうした中、5Rに勝次は右ストレートでとどめを刺した。フラフラになりながらも向かってきた前口は怖さは感じなかった。「怖さがあったら、こんな仕事はできない(キッパリ)。普段の生活からどれだけ怖さを断ち切るか。勝つために全神経を集中させていますから」

 

後日、入院した前口を勝次は見舞う。拳と拳で語り合ったふたりに言葉はいらなかった。
「格闘技って、そこが素晴らしい。試合終了のゴングが鳴るまでお互い相手を憎んでボコボコにしてやろうと思いながら練習する。でも、格闘技をやっている人だったら全員そうだと思うけど、試合終了のゴングが鳴った瞬間にムカついていた感情はスッと消え失せる」
試合終了直後、選手同士が軽くハグするような場面をよく見かけるが、それは決して社交辞令だけで行う行為ではない。認め合ったからこそ讃え合うことができるのだ。これは格闘技の大きな魅力のひとつである。(続編へ続く)

(取材・構成 布施鋼治)

布施鋼治

1963年7月25日、札幌市出身。得意分野は格闘技。中でもアマチュアレスリング、ムエタイ(キックボクシング)、MMAへの造詣が深い。取材対象に対してはヒット・アンド・アウェイを繰り返す手法で、学生時代から執筆活動を続けている。Numberでは’90年代半ばからSCORE CARDを連載中。2008年7月に上梓した「吉田沙保里 119連勝の方程式」(新潮社)でミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。他の著書に「なぜ日本の女子レスリングは強くなったのか 吉田沙保里と伊調馨」(双葉社)「東京12チャンネル運動部の情熱」(集英社)、「格闘技絶対王者列伝」(宝島社)などがある。

「KING OF KNOCK OUT 2017 in両国」

◆日時
2017年12月10日(日) 開場13:00 開始15:00

両国国技館(http://www.sumo.or.jp/Kokugikan/

◆アクセス
〒130-0015 東京都墨田区横綱1丁目3-28
JR総武線 両国駅西口下車 徒歩2分
都営地下鉄大江戸線 両国駅下車 徒歩5分

◆入場料金(消費税込み)
砂かぶり席(椅子席) ¥20,000 ※完売
アリーナA(桝席)    ¥12,000 ※完売
アリーナB(桝席)    ¥8,000 ※完売
アリーナC(桝席)    ¥7,000 ※完売
2階スタンドA(椅子席)  ¥7,000 ※完売
2階スタンドB(椅子席)  ¥5,000 ※完売
2階スタンドC(椅子席)  ¥3,000
小中高生         ¥2,000 ※当日のみ/要身分証
※当日券は各1000円アップ

◆チケット発売所

チケットぴあ 0570-02-9999(Pコード)
https://goo.gl/2HE3CP
ぴあカウンター、セブンイレブン各店、サークルKサンクス各店、ファミリーマート各店